(現在 過去ログ9 を表示中)

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 発言ランク ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■1741 / inTopicNo.1)  【東日本大震災から5年】
  
□投稿者/ 尼崎小田高校野球部顧問 徳山 学 大御所(152回)-(2016/03/11(Fri) 16:52:57)
    東日本大震災から5年が経ちました。5年前のセンバツ大会を開催するのか否かで、世間の意見は分かれましたが開催することになりました。「野球ができる幸せ」は、阪神淡路大震災以来日続けています。昨日のキャプテントークで、釜石高校の菊池智哉主将のスピーチは心打たれました。

    「私は、5年前の3月11日に東日本大震災の被害を受けました。当時の私は1週間後に(小学校の)卒業式を控え、学校が午前中で終わり、校庭で友達と遊んでいました。そして地震が発生しました。揺れが5分以上続き、私たちはとても不安にかられ、30分後には津波が街を飲み込みました。自分たちが住んでいた街が海になり、一面が海水と瓦礫で埋まりました。あんな思いだけは二度としたくないと今でも強く思います。そして地震は更なる不安を招きました。家族の安否です。私は1人でその日の夜を過ごしました。自分の家族が亡くなったかもしれない夜を1人で過ごす大変さはわからないかもしれませんが、私はその時もの凄い絶望感と不安に襲われました。その日の夜がとても悲しくてたまりませんでした。あれほど家族と会いたいと思ったことは今までありませんでした。翌朝、家族と無事再会できた時はとても嬉しかったです。しかし街を見たとき、周りの家はなくなり、道路の一部は決壊。前日までの釜石市とは思えませんでした。津波は多くの家や風景、そして命を奪ったのです。信じられませんでした。避難所ではライフラインが途絶えた状況が1カ月ほど続き、本当に苦しい毎日でした。毎食おにぎり1個と味噌汁で、水もみんなでまわして飲みました。家に帰れず、外に出ても油のにおいや、津波の影響で木材が腐敗したにおいなどがあり、本当にストレスがたまりました。体重も10キロ減りました。そんな中、中学校に入学し部活動の選択をしなくてはならない時がきました。私は一度は野球をあきらめました。道具集めや遠征費で親に迷惑をかけてしまうと思ったからです。それでも今まで野球を続けられたのは両親の大きな支えや昔からの野球の先輩の支え、そして何より全国各地からのたくさんの支援があったからです。あの支援がなければ今私がここにいることはないです。色んな方々と野球を通して関わることもありませんでした。心から感謝しています。震災から明日で5年。私の住む釜石市は、かさ上げ工事がまだ終わらず、道路整備もまだ完璧には行われていません。釜石市を通る三陸鉄道や道路の冠水(工事)もついこの間終わったばかりです。自分たちの野球部にもまだ仮設住宅に住んでいる人がいます。本当に復興はまだ始まったばかりです。私たちは今回のセンバツで少しでも被災地の方々へ元気を与えられるよう、そして多くの支援をして下さった全国の方々へ感謝を届けられるように、全力でひたむきなプレーをしたいと思います。今日はありがとうございました。」
    春季地区大会まであと19日、選手権大会開幕まであと120日です。
      念ずれば 花ひらく 

引用返信 削除キー/



トピック内ページ移動 / << 0 >>

このトピックに書きこむ

書き込み不可

Mode/  Pass/

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 発言ランク ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -